有限会社寿昇運は、1998(平成10)年に赤羽運送として貨物軽自動車運送業を開始いたしました。
当初より地域に根ざしたサービスをモットーに、お客様の声を聞き、よりサービスを充実していくとともに、 常に安心・安全・確実にお荷物をお届けするよう心掛けております。
一般貨物配送はもちろん、流通ルートなどでお悩み際など、有限会社寿昇運へぜひ一度ご相談下さい!
学び続けることで、感謝力・人間力を磨き、仕事観を高め、仲間⇒家庭⇒地域 を、心豊かにします。
運送の仕事は、商品の価値を顕在化させ、作り手の心をお客様に伝える大切な仕事です。
想いを大切に運ぶ私たちは【想配業者】です。
想配業者の私達が関わることで、お客様の愛情の籠った作品の価値を向上させるための努力を惜しみません。
それが私たちの存在意義なのです。
- 会社名
- 有限会社 寿昇運 ( コトブキショウウン )
- 設立年月日
- 1998年(平成10年)4月15日
軽自動車運送業開始(赤羽運送)
2003年(平成15年)6月18日
有限会社へ登記(有限会社寿昇運)
2004年(平成16年)1月19日
一般貨物運送事業開始(北進交貨第360号)
- 資本金
- 3,000万円
- 取締役社長
- 山田 俊
- 事業案内
- 一般貨物自動車運送業
軽貨物自動車運送業
再生輸送業
- 所在地
-
【本社】
〒399-0036 長野県松本市村井町南4-2-32
tel : 0263-58-9334 fax : 0263-58-9332
【塩尻営業所】
〒399-0701 長野県塩尻市広丘吉田670-1
tel : 0263-85-4050 fax : 0263-85-4051
- 主な取引先
- 長野県警察本部、松本市役所、(株)サンヨネ、(株)ムロオ、(株)マルイチ産商、多摩運送(株)、他
- お問合せ先
- お問合せメールフォーム
- 平成10年
- 軽トラックでの配送。人材派遣による運送業務。
- 平成11年
- 長野県内市場・山梨県内市場での仕分け業務。
- 平成12年
- カット野菜仕分配送。お酒のディスカウントショップの仕分け配送開始。
- 平成13年
- 高原野菜配送開始。
- 平成15年
- 一般貨物輸送業許可取得。法人化し、寿昇運設立。
- 平成16年
- 家電量販店の下請けでの店舗配送開始。
- 平成17年
- 大阪冷蔵共配便開始。
- 平成18年
- 関西最大手冷蔵輸送会社様と業務提携開始。駐車場借上げ拡張700坪。
- 平成19年
- コンビニエンス長野県全県配送開始。寿君のロゴを社員総会で決定。
- 平成20年
- バイオディーゼル燃料事業開始。
- 平成21年
- 駐車場借上げ拡張300坪。
- 平成22年
- 永続的に環境事業を行うために(株)寿バイオ設立。駐車場買取拡張200坪。
- 平成23年
- ドライバーの親切心から生まれた【レンタルトラックサービスことれん】開始。
- 平成24年
- 備品倉庫完成。
- 平成25年
- コンビニエンス配送・家電量販店配送撤退。2019年ビジョン制定。
- 平成26年
- 理念制定。社員数20名縮小。駐車場購入300坪。
- 平成27年
- 安全性優良事業所(Gマーク)3回目更新。冷蔵庫100坪新設。
- 平成28年
- バイオディーゼルB5燃料施設完成。
- 平成29年
- AED搭載車両就航。
- 平成30年
- 電子日報・配車システム開始。
- 令和1年
- 新型コロナウイルス大流行。
- 令和2年
- 高校新卒第一期生入社。
- 令和3年
- 東京オリンピック開催。
- 令和4年
- 2代目 山田俊へ代表交代。
【寿昇運 塩尻営業所】
〒399-0701 長野県塩尻市広丘吉田670-1
tel : 0263-85-4050 fax :
0263-85-4051
寿昇運は今日も道を走っています。
道路を築いた先人に感謝しつつ、公共の道を走っています。
寿昇運は明日も道を走ります。
想いをつなぐ企業として、自分たちの道を走ります。
自分たちの道。それは、想配業者として想いをつなぐことです。
価値をつなぎ、情報をつなぎ、地域をつなぎ、作品の価値を向上させる。
それが、創業者から引継ぎ、仲間とともにつくりあげてきた寿昇運の「道」です。
私たちは矜恃の想配業者として、想いをつなぎ、今を未来へつなぎます。
物流に課題を抱える企業の皆さま。現在お仕事をお探しの皆さま。当社従業員ご家族の皆さまや、地域の皆さま。どうぞこれからも寿昇運にご期待ください。
赤羽昇。有限会社 寿昇運の創業者。
「血縁者ではなく、前向きに学びに取り組む人に会社を継いでほしい」との想いから、2022年、自身は代表を辞し、現社長を後継者に指名。
長野オリンピックが開催された1998年。その年に、私は10年間磨き上げた職人の技を捨て、経験のない運送業へと舵を切りました。「もっと稼ぎたい」。ただそれだけでした。
なけなしのお金で軽トラックを手に入れ、とにかく人の嫌がる仕事を率先して請負い、昼夜問わずひたすら走り続けました。それでも、創業当時の経営はとても厳しく、毎月月末になると消費者金融を巡りました。今でこそ、当社は銀行からの全面的なバックアップを受けていますが、当時は違いました。私は月の終わりになると、決まって資金繰りに奔走しました。誰にも見られたくなかったので、真夜中に走り回りました。
月末は本当に憂鬱でした。が、ある時のことです。消費者金融へ向かう私の気持ちを察して、だったら代わりに行こうか、と申し出てくれる人がいました。
「気持ちは嬉しいが、君だって誰かに見られたら嫌だろう」
私がそう言うと、笑顔でこんな返事が返ってきたのです。
「嫌だけど、社長じゃないから・・・・・・」
その一言は、創業して最初の気付きを私にもたらしました。私は一人じゃない!私には支えてくれる人がいる!そう思うと、自然と「この人を守りたい」「この人のために働きたい」そんな感情が湧き上がってきました。
誰のために働くか。
私が大きく変わった瞬間でした。
そして、その数年後の12月31日のことです。仕事納めを果たし帰社した私を、取引先のお豆腐屋の社長が待っていました。
「いつもありがとう」
そう言って、お年玉袋を差し出してくれました。
たった一言でしたが、心が大きく震えました。そして、そのとき私は確信しました。仕事とは感謝を伝えること、そして「ありがとう」を頂くことであると。
何のために働くか。
目的の一番目が変わった瞬間で、あのお年玉袋は私の一生の宝物です。
しかし、それから間もなくのことです。入社してすぐの若者が辞表を持ってきました。「社会保険に加入してない会社なんて辞めて来い」。そう親に説教されたから、とのことでした。
その時、私はハッとしました。多くの人からいただいた「ありがとう」。私はそれを、仲間にまったく伝えていなかったのです。
だから「Pay it forward」。
「恩送り」です。
恩送りとは、誰かから受けた恩をその人に返すのではなく、別の誰かに送ることです。
私はたくさんの恩を受けました。その中には、直接恩返しできないものも多々あります。
そうした体験から、「ありがとう」が集まる豊かな環境を、次世代へと送りたい。そんな念いを抱くようになったのです。
私は若者が辞表を持ってきた翌日、真っ先に社会保険の手続きを済ませました。そして、その年内には一般貨物運送業許可を取得。法人化しました。
社員とその家族の寿を追究し、爽やかな人間性と上昇志向で、共に学び続け、想配業者が人々の心を運ぶことで得られる、めぐり合わせに感謝したい。
こうして寿昇運は誕生し、私は仲間と「道」を走り出したのです。